元は千葉県が経営する県営鉄道の軽便線であった久留里線。国有後に改軌がなされた同線ですが、一部に軽便線時代から線形を替えた箇所があります。

久留里線の旧線

 今では千葉県唯一の非電化JR線となった久留里線は、そもそも県が貧弱な道路事情をカバーするために県内各地に建設した「千葉県営鉄道」(軌間762mmの軽便線)のひとつとして開業したもので、1906(明治39)年の鉄道国有法の公布時でも国有化の話が出るような規模の路線ではありませんでした。
 しかし大正時代の鉄道建設ラッシュの中、1922(大正11)年に制定された「改正鉄道敷設法別表第48号」の予定線に「千葉県木更津ヨリ久留里、大多喜ヲ経テ大原ニ至ル鉄道」が挙げられたことから状況は一変します。国鉄の計画路線と被ることになったので、突然国家の手が伸びてきたのです。買収を出来るだけ安く済ませたい政府と、国の買収には逆らえないがどうせなら輸送力を上げてほしい県はお互いに交渉を重ね、「無償譲渡を条件に路線延長と改軌」を約束、お互いの利害一致を図りました。
 こうして1923(大正12)年9月24日に無事買収取引は完了ましたが、この頃国では地方開発のための新線建設を重視した政友会と、限りある予算の中で既存の路線の改良を重視した憲政会の政党によって異なる鉄道政策が政権交代のたびに入れ替わり、最終的には不況などの要因もあって鉄道建設の予算が削減されてしまいます。
 その結果久留里軽便線は改軌も延伸もされず、これでは約束と違うだろ という県議会の抗議が起こったと言われています。結局、買収から7年が経過した1930(昭和5)年8月20日にようやく改軌が行われ、延伸工事も1936(昭和11)年に上総亀山まで行われました(が、その先へ伸びることはなかった…というのは、木原線構想のエピソードとしても有名です)。

まとめると…
千葉県営鉄道久留里線(1912)
↓買収(1922)
国鉄久留里軽便線
↓改軌(1930)・延伸(1936)
国鉄木原西線
↓名称変更(建設を断念したからか?)
国鉄久留里線
↓民営化(1987)
JR久留里線

この1930(昭和5)年に改軌を行った時の記録を見ると、小櫃から俵田で0.1Kmの短縮が行われたという内容が記されています。
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詳しい線形についてのヒントが全くないので完全に推定なのですが、とりあえずどこかの区間で「何かしら」を削っているのです…
ということで、小櫃駅周辺を色々と調べてみました。

第一回訪問

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まずは小櫃駅そのものの調査目的で下車。
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かつては対向式二面二線の交換駅だったそうですが、1980年代以前に棒線・無人駅になっています。
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木更津側の線路の不思議な曲がり方を見ると、分岐していた様子がはっきりと分かります。
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可愛らしい小さな駅舎。
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駅の久留里寄りにはかつての貨物ホームの跡が残っており、建物自体は元の貨物ホームとは関係ないと思いますが、その場所は駐輪場として再利用されています。
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また、かつての反対側ホームも残ったままです。
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横の斜面からホーム上へ上がってみました。一部は保線用の置き場に利用されています。
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草むらの中をじっくり見るときちんとホームの端の部分も見ることが出来ます。
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旧ホームの横を見るとなんとSLが。
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ナンバープレートがペンキなのが残念ですが、そこそこ綺麗な状態でC12型蒸気機関車が保存されています。この287号機は生涯を九州で過ごしたそうで、久留里線や房総には全く関係が無いようですが、縁あってこの小櫃(小櫃公民館)に保存されています。どうやら戦後製造機では最若番らしいので、大切にし続けて欲しいです。
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近くには勝手踏切がありました。久留里線民ってどこの駅でもすぐ線路を歩きますね…
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駅からすぐそばの用水路をまたぐ場所を見てみましたが、ここが付け替え後の物なのか、当初のままのモノなのかを判別することはできませんでした。雰囲気的には付け替え後っぽいのですがねぇ…
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小櫃駅北側も念のため見てみましたが、肝心の旧線の路盤は見当たらないまま帰る予定の時間を迎え、撤収しました。

第二回訪問

どうも煮え切らない後日、地図の航空写真をぼんやり眺めていると、旧線の路盤のような物を見つけました。
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小櫃から御腹川までのこの間にひょっとしたら旧線の痕跡があるのではと思い、再調査を実施してみる事にしました。
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 前回からおよそ2か月後、再び小櫃の地へ来ました。撮影していなかった貨物ホーム跡地をまずは記録。菜の花が咲いています。
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やはり前回の見立て通り上の建物は関係ありませんでしたが、ホームがきちんと残されていました。
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車止めの後も一つ残っていました。この貨物ホームの広さからして、当初から一線のみの造りだったと思われます。
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貨物ホームの記録を終え、路盤跡が疑われる場所を目指して歩きます。
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途中の路地を何か所か覗きましたが、具体的な痕跡を見つける事は出来ませんでした。
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路盤跡の残存が疑わしい所までやってきました。とりあえず御腹川を目指します。
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更に進み、川の近くまでやってきました。久留里線の御腹川橋梁(?)が見えてきます…
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おいおいおいおいなんか見えてるぞ…
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きゅ、旧橋脚だあああああああああ!
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付け替え前の旧線(県営線→軽便線)時代の橋脚がなんとそのまま残っていました。

初代:御腹川橋梁(残存は橋台のみ)
施工年:1915(大正4)年(※同区間の開業年は1912)
所属・管轄:千葉県営鉄道→日本国有鉄道(1923年)
使用終了年:1930(昭和5)年
使用終了理由:改軌による線形変更・橋の付替
経年:102年・実働15年
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奥にあるのはもちろん今の久留里線の鉄橋です。
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正面から見た図。川の反対側の橋台を確認していないので断定は出来ませんが、恐らくガーター橋を架けていたと思われます。サイズの小ぶりさがとても軽便線らしいです。記録によれば陸軍鉄道連隊の建設であるはずなので、その観点から見ても貴重なものだと思います。
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そしてレンガの積み方。劣化が酷くぱっと見は長手積み?のように見えますが、よくよく見直せばオランダ積み(イギリス積み)でした。
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橋台から小櫃寄りを振り返って一枚。この橋台のお陰でここが路盤であったことが証明されました。
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鉄道用地の境界柱の存在も確認できました。
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出来るだけ路盤に沿いながら小櫃駅方面へ戻ってみます。
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小櫃駅に戻ったところで今回もタイムアップ。木更津へと戻りました。こんな感じでホームの高さと列車の床面との段差が凄いですが、段差が規定内であることを理由にホームの嵩上げはされていません。

 旧線の路盤や橋脚を見つけられたのはかなり大きな収穫ですが、これだけでは0.1Kmの短縮区間を完全に特定とはなりませんでした。今後再調査します。
というわけで…

完結編に続く