新京成線の「藤崎台駅」という駅を知っていますか?この駅は廃止された駅なので勿論現在の路線図には存在しません。鉄道が好きな諸兄なら知ってる人も多いネタですが、この旧線跡を現地探索してきたので記事にしました。まだまだ学習不足なので間違いなどありましたらご指摘願います。


※複雑な新津田沼駅界隈の移転歴については事前補足記事として
「新津田沼駅の変遷」に詳細を出しているので、記事中に不明な点があれば適宜参照をお願いします。
(↓探索する旧線地図)
 かなり適当ですが旧線跡とかつて存在した関連施設を地図上に落としてみました。旧線はかなり直線的だったと分かります。

探索開始

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JR総武本線と新京成が交差する付近の久々田歩道橋から徒歩スタート。
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カメラを構えたらいきなり変なのが来てビビりました()
今日は検測日なのでしょうか。
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総武線を単線でオーバークロスする新京成。この橋の橋脚はよくあるコンクリに見えますが、中には旧鉄道連隊のレンガ橋脚が埋まっているとのこと。
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橋脚部分だけ眺めると複線用地のような不自然なスペース。詳細は未調査なので鉄道連隊関連なのか新京成旧線関連なのかはたまた別物なのかは不明です。
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歩道橋から松戸方面を眺める。
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旧線との分岐点へ向かうために新京成の線路をなぞりながら松戸方面に歩いていきます。ちなみにこの写真の左上には不自然な敷地があり、鉄道連隊か何かしらの関連施設跡地と考えられています。

旧線区間を歩く

せっかくなのでここからは出来るだけ旧線に沿って歩きます。擬定線上の数字はここからの写真番号に対応した撮影位置となります。
(写真内に旧線をイメージして赤い矢印を引いていますが、一部は推測であり、完全に一致していない可能性があります。)
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かつてはこの跨道橋付近のどこかで線路は藤崎台方面へ伸びていきました。
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イオンモール津田沼の横を掠めるように旧線は続きます。このイオンモール津田沼は、1981年頃までこの地に存在した京成電鉄津田沼第二工場の跡地を再開発して建設されたものです。
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往時であれば、左手側には京成電鉄の工場があり、大栄車両という名義の車両会社が新車の製造や修繕を行なっている横を電車がすり抜けていた事でしょう。 
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道なりにしばらく行くとすぐに小さな公園に差し掛かります。この写真あたりで津田沼第二工場への引き込み線があったと推測されます。
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公園の名前は「さくら公園」。
ここは津田沼第二工場内の藤崎台支線に相当する敷地でした。そのためつい最近(平成15年)まで新京成電鉄がこの部分の土地を所有していました。その後習志野市に売却されて公園化されました。
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公園内の中心に立ち、前原方面を見ると一直線に路地が続いているのが見えます。これらが路盤跡になります。すなわちこの写真は藤崎支線廃線跡の上に立って前原方面を眺めていることになります。
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公園内から見えた真っ直ぐ続いている路地はそのまま廃線跡を転用した区間となります。写真や現地ではただの路地ですが、地図上で改めて見ると中々分かりやすく周囲と雰囲気の違う路地となっていました。
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路地内の中で現在線から離合した地点から100メートルほど離れたあたりが藤崎台駅の所在跡地になります。分かりやすい痕跡は見出せず、完璧に住宅街に溶け込んでしまっています。
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イオンモール津田沼の前から200メートルほどで路地は県道69号(長沼-船橋線)にぶつかります。踏切として交差し線路はさらに直進していました。
付近のこの県道上には京成バスの「藤崎台」バス停があり、かつてこの辺りに駅があったことを彷彿させます。
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県道とぶつかった先は住宅街の中に完全に埋もれてしまい、現地で正確な位置を掴むことは極めて難しいです。
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路盤跡から少し離れた所に石碑のようなものを発見しました。仮に意味のあるものであるならば、庚申塚や道祖神のようなものだったのではと推測されます。
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もしかしたら廃線跡に関連したものではないかと凝視しましたが、文字は刻まれていませんでした。同行した友人の足が写り込んでいます。
(歴史好きの彼曰く、何かしら文字が刻まれていた跡が随所に見られるとの事。確かに言われてみればそうかも…?)
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路盤跡から離れつつも下り坂の路地を抜けると石塀が現れます。ここは新京成前原変電所敷地であり、向こうを覗くと現在線の姿が。合流点が見えてきました。
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3代目駅と藤崎台駅が共存していた時代、路線は津田沼方向へ単線並列で並走し、丁度この変電所のあるあたりで分岐していました。変電所の中には砂利敷きの部分があり、路盤跡と一致していました。(変電所が建設されたのは廃止後であるため当時のものであるかは微妙です。)
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変電所を抜けた先のこの踏切が現在線との合流地点。この探索のゴールです。
振り返って撮影したので踏切とは分かりづらい… 
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カメラの電池が切れたため写真はありませんが、この後前原駅まで歩き、探索はお開きです。

探索終了。

 今回の記事はこのサイトでは初めての廃線跡探索レポートとなりました。新京成周辺にはまだまだ鉄道連隊関連施設跡があるので、随時それらもレポートしていこうと思います。グダグタの長記事になりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。